釣りをしていると、どうしても避けられぬ日がある。
どれほど準備を整えても、どんな仕掛けを工夫しても、一匹も釣れずに帰る日。いわゆる「ボウズ」の日である。

あるとき私は、竿を肩に重く担ぎながら駐車場へ向かった。
朝から晩まで粘ったが、一度もアタリがなく、アオリイカの姿すら見えなかった。「もうエギングなんてやめてしまおう」と心の中で吐き捨てていた。
そんなとき、出会ったのが釣り仙人である。
古びた延べ竿を手にしたその老人は、私を見て笑いながらこう言った。
「今日はボウズか。」
私はむくれて答えた。
「はい、一匹も釣れませんでした。いろんな餌木を試したのに……」
すると仙人は、ゆっくりと水面を指差しながら言った。
「アオリイカは人の都合で動かぬ。風が変われば流れも変わる。
流れが変われば魚も動く。仕掛けより大事なのは、この海の声を聴くことじゃ」
私は思わず息を呑んだ。
確かに、アオリイカが釣れぬ理由を「道具のせい」にしていた自分がいた。
仙人は続ける。
「ボウズの日こそ、学びの日だ。なぜ釣れぬかを考え、海の表情を読む。その積み重ねが、やがて一匹のイカを導いてくれる。釣れぬ日は、釣り人に与えられた修行なのだ」
それから私は、ボウズの日をただの失敗とは思わなくなった。
海辺に立ち、鳥の声に耳を澄まし、風の向きや水面の波紋に目を凝らすようになった。アオリイカは姿を見せなくとも、自然の豊かさが心を満たしてくれることに気づいたのである。
仙人は最後にこう言った。
「ボウズを恐れるな。イカはいつでもそこにいる。だが、おぬしの心が乱れていては竿先に伝わらぬ。ボウズの日を重ねた者ほど、やがて一匹を掛けたときの喜びを深く味わえる」
今では、ボウズの日に肩を落とすことは少なくなった。
むしろ「今日は海が何を教えてくれるのか」と耳を澄ませるようになった。
釣れぬ日もまた、釣り人を育てる大切な時間。
そう教えてくれたのは、延べ竿に餌木をぶら下げた仙人である。
